お知らせ

保育者は時に事例を書きます。遊びや活動の様子を書き、それについて考えます。なんてない遊びの場面を読み取ります。
機嫌よく遊ばせていたら終わりならば、誰でもできる仕事と言われます。
専門的な観点を持って関わり、子どもを育てる仕事が必要です。
今日は、ほんの一幕を紹介します。長いですが、ぜひお読みください。

《エピソード》
Yがピアノを弾いている。一つ一つの音を弾いている。なんだろうと保育者が隣に座ってみた。最近、Yが遊んでいるところにお邪魔させてもらうことが多い。「最近どう?楽しい事ある?」と聞くと、「ピアノ弾くの楽しい」と答えてくる。「そうかー」と答えて、Yが弾いている様子を見てみる。最初は1本の指で、音を確かめるように弾いていく。同じ音を何度か弾いては次の音へ、次の音へ。鍵盤を一つ一つ確かめていく。次に楽譜の棚から、「おつかいありさん」の楽譜を持ってくる。順番に弾くのかなとみていた。すると、自分が好きな音を連続で弾いて、それと同じマークを探して、見つける。それを楽譜の中に探しては指でなぞっては、合わせてピアノを弾いていく。自分が見つけた音と楽譜の色のシールと数とを合わせて弾き続けていく。時折、保育者の方を見ては、ニコッと笑顔を向けてくる。
保育者が、一つ音を弾いてみる。すると、リズムを崩して、色々な音を弾いたり、肘で弾いたり、腕でまとめて鍵盤を押したりする。保育者が「余計だったかな!?」と思い、いったんまた見ておくと、先ほどと同じように音をひきはじめる。

<省察>
 おおとりの森こども園の玄関ホールにはアップライトピアノがあり、子どもたちのための教材である。決して保育者が曲を自慢するための道具ではなく、子どもたちが音と出会い、音に触れ、音を探すためのツールである。そこで、子どもたちは保育者や友だちや仲間、異年齢とも出会い、場を共有する楽しさや楽器に触れあう楽しさを体験していく。技術を教える場ではなく、子どもたちの表現が華開く場となっている。
 今回の事例では、Yなりの弾き方や音へのアプローチが音の旅をするアーティストのように見えた瞬間である。音は、乳児も幼児も魅了するものである。特に今回はピアノという音の配列が決まっている教材として、自分なりの心地よさを感じるものや、自分の行動パターンや音を楽しむことがしやすかったのだろう。まさに、「音楽」である。
 Yは自分なりの感覚や自分なりのリズムや自分なりの空間が大事な人であり、そのYの過ごし方を、理解できると非常に緩やかに過ごすことができるようになってきた。最近、保育者はYの過ごしている場所に赴き、話を聞くようにしている。何を感じ、何が好きで、何が心地よいのかを探っている。0歳児、1歳児の保育室は落ち着くようで、赤ちゃん向けの玩具だけでなく、保育者の手作り玩具によく触れている。Yの自分らしさを保障してくれる心地よさ(一定の動き、シンプルさ、難しさのなさ)が赤ちゃん向けの手作りおもちゃにはあふれているのかもしれない。
 この遊びは、Yならではの時間の流れと道具へのアプローチの仕方があるからこそ生まれたものである。音とはリズムを生むものである。そのリズムを自分で導き出すことができるのが楽器のよいところである。そして、それは曲を奏でるだけでなく、Yの身体リズムや脳内にある心地よいリズムと音が重なりあい今回の音の遊びが産まれている。楽器は「触らせる」ものではないが、楽器は「触る」ことによって遊びと化していく。今回の保育者のある意味、蛇足で不粋な関わりがYの感性と表現の邪魔になったのではないかと反省している。Yの持つ表現の世界観を、どう保障するかが重要な場を乱してしまった。Yに限らず、遊びの場での時間と空間と方法の保障は保育者のアプローチに関わってくる。「今」を生きるタイプの子たちには、先々を見据えながらの遊びの発展性より重要なことが、自分の充実にある場合がある。特に、音、絵などの表現に関わる遊びに関しては、その充実が何よりも重要視されねばならないなと感じた事例である。

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